リアリスト
「俺は今、将来を約束する付き合いはできない。」
彼は何度もそう口にした。
「もし仮に君とこのまま関係を続けたとしよう。先のことを考えすぎず、今を楽しむつもりで。でも確実に、お互い気持ちは今よりも遥かに強くなるだろうね。君のビザが切れて帰国してからは、しばらく遠距離だ。遠く離れてうまくやっていけるとは思えない。」
「でも、その時必死になって探せばいくらでもそばにおれる方法はあると思うねん。私がもう一回今度は違うビザでスペインに来たりとか。」
「どうかな。もしそうしても、俺が日本に行った後、どこに住むのか、お金を稼いでいけるのか、とにかく定まってないことばかりだ。そんなクレイジーな人生を歩む俺に、君を巻き込めない。」
結論はいつもこうだった。
「俺は、将来を誓ったパートナーには全てを捧げたい。人生の中で、優先順位を1番にして扱いたい。家族よりも友人よりも、だ。だからこそ、パートナーには安定を約束したいし、責任も持ちたい。」
だから、その後の言葉はもう簡単に予想できた。
クロの言うことは理にかなっていると思うし、近年稀に見るほどの誠実な男の子なのだなあとも思う。
でもそもそも、何で、数ある可能性の中から危険要素だけを取り出してそこに集中しているのだろう。
「人生で選択の瞬間っていくつもあると思うねん。ほんで、それぞれの選択肢の先に別の未来が待ってる。選択の繰り返しやから、その分だけ未来があるわけやんか。クロは今、何個も何個も先の選択肢のうちの一つが不安やからって、これ以上先に進むのをやめようとしてるように私には思える。確かにその不安は無視できひんかも知らんけど、その前にもまだまだ選択肢が並んでんねん。選び放題やのに、もうこんな手前で諦めてしまうん?」
私は続けた。
「私は前にも行った通り目の前のことに集中して生きるタイプで、その時々で最善を選んでたら、未来の自分にとっても最善になるって考えてる。でも一方で、クロみたいに先のことを考えて逆算して生きるのは私にない部分やから、尊敬もしてる。でも、今はその考え方をされるのが悲しい。」
「確かに、俺はリアリストだから、常にいろんな不安要素を懸念して生きているかもしれない。不安要素に気づいてしまった以上、完全に無視することは難しい。」
クロは言葉を続けたが、悲痛に歪むような表情でこっちまで苦しくなった。
「日本に行くのが夢だけど、いざ肌に合わなかったら?スペインに帰って一から人生をやり直す時、俺はもう30を過ぎている。しかも学校に通わず行ったとしたら、ご立派な肩書きもお金もなく帰ってくることになる。何も持ってないアラサー男。恐ろしいよ。」
返す言葉はいくらでも浮かんだ。
バイトでもなんでも稼ぎ口はあるやん、とか。
そんなん行ってみな分かれへんから心配してもしゃあないやん、とか。
そもそも、日本に行きたいと決めた時点でその可能性は予想できてたんやから、覚悟もあったんじゃないん、とか。
でも、ここで続けたって、結局話は平行線を辿るだろう。
クロも私も、お互いの考え方を変える気はない。
責めたい訳ではないけれど、少しずつクロの話を聞く態度が気になってきた。
聞いてるかと問うと返事は返ってくるが、集中していない。
同じ話を何度も繰り返しているので、無理もないのかもしれない。
とにかく、このまま続けても埒があかない。
一旦今日はここまで。
また考えて、少しずつ話をしようということになった。
「スペイン語で細かなニュアンスを伝えるのが難しくて。きつい言い方になっていたらごめん。クロの考え方を否定したい訳じゃないんやけど、私がどう考えてるのかも分かって欲しくて。」
「うん。そんな風には思ってないよ。でもとにかく、今俺の考えは変わらないんだ。それと、他にも考えることがあって。今日はちょっと疲れてしまったからもう休むよ。」
「そっか。分かった。今日は話してくれてありがとう。ゆっくり休んでな。」
そうして、今日も別々の部屋に帰る。
壁一枚しか隔たりがないのに、今の私たちの間にはそれ以上の距離ができてしまったような気がした。
※「」=スペイン語
「」=日本語
で会話をしています。