大阪人がスペインで愛を得る旅

ワーキングホリデービザでスペインの南の方に住んでいます。

ハグ

 

最近は、毎日のようにハグをしている。

私からすることもあるけれど、クロからしてくることも多い。

 

例えば私が落ち込んでいるときや気分を損ねた時。

ごめんね、とか、大丈夫だよ、みたいな意味を含んでいるのであろうぬくもりで包んでくれる。

その度に、私の機嫌は簡単に治ってしまう。

私の考えている通りの意図なのだとしたら、効果はてきめんだ。

 

それと、ここ最近は外出から帰ってくると、必ず私の元に来る。

私が部屋にいたら、部屋にも入ってくる。

 

私が考え込んでいたり暗い表情をしていたら、笑わせようとくすぐってくる。

煩わしい時もあるけれど、助けられていることの方が多い。

 

そうか。

クロは、あまり辛い顔を私に見せない。

対して私は、不安からクロの前で暗い顔をしてしまうことも多い。

 

もっと悪いのは、拗ねてしまうことだ。

子供じみていて、そんなことをしても意味がないことはわかっている。

逆に嫌気がさされてしまうかもしれないとも思っている。

でも感情がうまくコントロールできない。

そんな限界がきて、自分ではどうしようもない時にクロのハグでリセットされるのだ。

私はクロに救われているんだなあ、と思う。

クロのことを考えて悲しくなったり、嬉しくなったり。

我ながら、完全に振り回されている。

自分の足でしっかりと大地を踏みしめたいのに、まだまだ不安定だ。

 

女は追われてなんぼ。

男を手のひらで転がすくらいの器を持て。

恋愛の教科書に載っていそうなこと。

その基準に則れば、今の私は落第点だなあ。

 

 

 

ある日、私の写真フォルダを遡っていたら、過去に言語交換アプリで会った男の人との写真が出てきた。

その人には地元を案内してもらって、本当に良くしてもらった。

恋愛感情も抱いていないし、友達の一人だ。

しかし、写真には距離の近い私たちが写っている。

彼が私を性的に扱ってきたことはないけれど、写真の時は距離が近かったのは事実だ。

私は、外国の人はやっぱ距離感近いな〜と思ったものの、わざわざ距離を取るのも違うなと思って流れに身を任せていた。

それを見たクロは、露骨に不服そうな態度を取った。

「うわお。随分距離が近いね。」

「外国の人ってそんな感じなんかなって。拒否するのもおかしいし。友達やよ。」

「ふーん。君は随分愛嬌があるんだね。友達とこんな近づいて。まあ、もちろん君の自由だけど。」

言い訳をするのもおかしいなと思って、反論するのを諦めると、クロは拗ねながら自分の部屋に戻っていった。

 

後に残された私もどんどんモヤモヤしてくる。

素直に嫉妬してくれればいいのに。

たまにクロは私を束縛したがるような態度を取る。

その割に、自分のことは話さない。

悶々とした気持ちがどんどん黒くなっていく。

 

いや、だめだ。

こうやって悶々したいわけじゃない。

私はクロと楽しく毎日を過ごしたいんだ。

 

仲直りしようとクロの部屋に向かう。

私が何か言う前に、抱き寄せられた。

ほら、仲直りは簡単だ。

「すごく綺麗だよ。」

今朝切った髪に触れながら、クロは言う。

 

きっと私たち二人とも、素直になるのがちょっとだけ下手なんだ。

でも、仲直りの仕方を知っているから。

恐れる必要はない。

すれ違っても、何度でも。

またこうして仲直りすればいいんだ。

 

 

 

 

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お土産

 

クロは、どこか買い物に行った時とか私に小さなお土産を買って着てくれる事がある。

 

菓子パンだったり、ドーナツだったり。

基本的に食べ物。

なぜなら、私が食べることが好きなことを知っているから。

「食べ物があると、君はハッピーだね。」

と私が喜ぶ姿を嬉しそうに見つめるクロの顔を何度も見たことがある。

 

私に取ってはモノはなんでもよくて、私のことを考えてくれていた事自体が嬉しい。

 

 

その日は朝から週一で開催される朝イチに野菜を買いに来ていた。

アボカドが1kg300円もせずに買えるので、すっかり常連になっている。

普段見かけないお店が出ていて、気になって寄ってみた。

 

アーモンドをまぶしたパイのようなお菓子が並べられている。

じっと見つめていると売り手の女性がこちらに気づき、声をかけてきた。

遠い地域から仕入れたものをここで安く売っているのだと熱心に説明してくれる。

そうだ、クロへのお土産にしよう。

もらってばかりじゃなく、お返ししたいと考えていたところだ。

 

お土産を渡したクロの反応を想像すると、なんだかワクワクした。

帰る足取りが軽くなるのが分かる。

 

家に帰ってクロにあげると、予想通り喜んでくれた。

ハグまでもらえたので、私のほうが得したような気すらする。

 

そしてタイミング良く以前注文していた衣類が届き、クロはすっかりご機嫌だ。

鏡の前でポーズをとり、

「これ、めっちゃいい感じだよね。似合ってるよね。」

と私にも同意を求めてくる。

 

クロは細身な方だと思うだが、骨格が良いので痩せこけて見えることはない。

さらに本人がオーバーサイズの服を好むこともあって、普段彼のシルエットは衣類に隠されている。

しかし届いたズボンは丈とウエストがばっちりで、脚の長さが際立つデザインだった。

おうおう。羨ましいこって。

知り合いにモデルを薦められたことをあり得ないという素振りで話していたが、私は知り合いの意見に賛成だ。

 

クロはアジア人の外見を理想としている節があって、私からすると羨ましいパーツも彼にとっては違うこともあるらしい。

私の低い鼻を羨ましいと言い、私からすると面白みのない直毛が美しいと言う。

高い鼻に、癖毛。

私からすると美しいのに。

 

人間ってないものねだりだなあ。

 

クロといると世界の多様性と、違うことすらも美しいと思える。

 

 

 

 

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水瓶座

 

 

「実はさ、クロの星座調べたねん。」

 

クロのほうきを奪って、今度は私が床を吐きながら言葉を放った。

 

「前に誕生日と星座いってたから。私とクロは多分考え方が全然違うからさ。でも、落ち込んでるの見たらほっとかれへんくて。そういう時水瓶座にはどういう対応して欲しいのかなって、ちょっと調べたりした。」

水瓶座は自由を愛するって書いてたでしょ。」

「うん。自分にも周りにも独立を求めるとも書いてた。やから、やっぱり干渉されたくはないんかなって。」

 

私の話を聞きながら何か調べごとをしていたかと思えば、携帯の画面を見せてきた。

とあるインスタグラムの投稿だ。

水瓶座にまつわる取り扱い説明みたいなものとか豆知識が可愛い画像に記されている。

「占いをすごく信じてるとかじゃないけど、当てはまることが多くて面白いから、フォローしてるんだよね。」

そこからいくつかの投稿を見せてもらった。

 

「私も自分の、見てみたい。双子座。」

双子座の投稿では、旅行できない彼氏は別れるとか、時間を守らないとか書いてある。

「やっぱ旅行できないとダメなんだ。全然違うね俺ら。」

と寂しいことを言う。

「占いが全てじゃないよ。」

と反論しながらも、ちょびっと不安が私にも襲いかかってくる。

 

いくつかの投稿を遡ると、良いものを見つけた。

私がにやついていると、横からクロが覗き込んできた。

見ていた投稿をクロにも見せつける。

それを見た後は、クロもにやついていた。

そこには、双子座と水瓶座の恋愛における相性が抜群だと書いてあった。

 

 

「私にとって今一番大事なものは、クロなんよ。」

リビングを掃きながらおもむろにそう言うと、机を拭いていたクロの手が止まる。

じっとこちらを見ている。

「ほんと?」

「ほんまやよ。なんや。知らんかったん。」

やっぱり自分の気持ちって話さな伝わらないものだなあ。

こんなに分かりやすいと思ってたけれど。

その気持ちの大きさとか、深さは見えないものだな。

言葉にするって、大事だな。

 

 

 

 

それからは、この二日間が嘘のように笑い合って過ごした。

自分の気持ちを塞ぐことなく、思いっきり笑い合って過ごせるこの瞬間をどれほど待ち侘びていたか。

クロの笑顔を久しぶりに何度も目の前にして、心が満たされていくのを感じる。

 

今日もいつものようにアニメを見たけど、いつもよりも笑いに溢れている。

アニメの絵がちょっと面白くて、何度もそれを真似して笑い合った。

なんて事のないくだらない事なのに。

二人で何かを共有している事が嬉しくて。

それに、今日は月を一緒に見る事ができた。

綺麗だねって言い合えた。

私は、こんな小さな事で幸せになれるんだよって。

いつか伝えないといけないなあ。

 

 

散々笑って、それぞれの部屋に寝に帰る時。

クロの手が荒れていて、ハンドクリームを渡してあげた。

しばらく持ってて良いよ、って手渡した。

すると優しく抱きしめられて。

「今日は、ありがとう。色々、全部。ありがとう。」

その全部が何を指していたのかは、分からない。

けれど多分、私が考えていることはあながち間違ってないはずだ。

「私こそ、ありがとう。」

 

ありがとう。

私に話してくれて。

心を開いてくれて。

一緒に笑い合ってくれて。

こんなに楽しく過ごせて。

今こうして抱きしめていられることも。

諦めないでくれて。

 

今はまだ、私たちの関係性に名前はないけれど。

急かしたりしない。

少しずつでも、私たちのペースで。

なぜか、私には自信があるんだ。

少しずつでも、前に進んでいるって。

 

 

 

 

 

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吐露

 

私に話してくれたってことは、多少整理ができたのだろう。

 

安堵する気持ちと同時に、悲しくもなる。

私が状況を良くしてあげられるわけではなくて。

 

またかける言葉が見つからない。

ただ、これ以上悲しむ必要はないんだよって、包み込んであげられたら。

 

この瞬間に私ができることは、何か気の利いたセリフを吐くことではなくて。

 

「感覚が鋭いならさ、今私が何考えてるか当ててみてよ。」

言いながら、私の声は少し震えていた。

 

話す彼の表情を見つめながら、私もいくつかの感情を受け取っていた。

言語化できない感情が私の中で渦を巻いて、溢れ出ようとしている。

 

「分からない、何?」

「抱きしめてあげたいって思っ」

 

言い終わる前に、右手を引っ張られて気付けば彼の腕の中にいた。

 

蓋が外れたように感情断ちが流れ出す。

彼の袖を濡らしてしまう。

 

「ダメ。俺まで感情が止まらなくなる。」

「うん。」

場にそぐわず、一気に安堵が胸に広がる。

 

こうして彼の体温をしっかりと感じたのはいつぶりだろうか。

 

「ここ二日間、寂しい想いをさせてごめん。」

そう言ってさらに抱き寄せられる。

そのせいでまた泣いてしまいそうだった。

 

「あかん、鼻水も出てきた。」

すっかり安心しきった私は、今度は笑っていた。

 

近くにあったキッチンペーパーでクロが涙を拭ってくれる。

思いっきり鼻を噛む私に、いつの間にかクロも笑っている。

顔の水分を拭った後、私たちはもう一度ハグをした。

すっかり笑顔で。

 

「やっぱり気持ち良い〜。」

とクロが嬉しそうに口にする。

「落ち着く、じゃなくて?」

と言ったけど、実際はそんなことどうでも良かった。

クロとこうして笑い合えていることが、何よりも嬉しかった。

ここ数日ずっと待ち望んでいたことだ。

 

そのまま、しばらくお互いの体温を感じていた。

 

「この前、例の同居人のこと、上から下まで見てたよね。気があるって思われるかも知れないからやめた方が良いよ。」

見てたっけ?

「多分無意識や。」

「だとしても、誤解される可能性があるから言っておくよ。それと、楽しそうに会話しないこと。必要以上に話を膨らまさず、最低限の返事だけしてたらいいから。」

およよ。

もしかして、ヤキモチ?

にやついた私に気づいて

「ま、君の好きにしたらいいけど。好きになるのは自由だし。」

と捻くれた言葉が付け加えられてムッとする。

そうやって突き放されると、悲しい。

 

 

その後掃除を続けながら、少しずつクロが自分の気持ちを話してくれた。

「家を出るって言った時も、引き止めようとしないし。君にとってはどうでも良いのかって。」

「それは、そこまで口出す権利ないと思ったから…。私だってクロと離れたくないけど、私の感情は勝手な私の気持ちやんか。」

 

例の話し合いがあってから、私はクロとの距離感を模索中だった。

ただの同居人に対する感情ではない。

それ以上のものを抱いている。

でも、恋人のように接することもできない。

そうして自分の気持ちを抑えていたから、自分の気持ちも正直に話してはいけないんだと思っていた。

 

なんだ。

クロは私に期待してたんだ。

もしかして、私の気持ちを確かめたかったのかな。

 

そう考えると、なんだか急に可愛く見えて。

一体私たち何をしてるんだろうね。

ゴールを見えないふりして、わざと遠回りしてるみたいだ。

クロはそれに気づいているのかな。

きっと、どうしたって私たちはあの場所にたどり着くよ。

楽しそうで、幸せな香りがする場所。

急に肩の力が抜けて。

力んでたことがバカらしくなって。

 

型にはまらなくて良いかなって。

良い意味で諦めた。

もしまだ気づいてないとしても、良いよ。

好きなだけ、遠回りしてよ。

私は逃げないし、いつまででも一緒に寄り道するから。

 

 

 

 

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祝日

 

次の日、朝のうちにスーパーに行こうと家を出た。

 

スペインも最近は朝晩はだいぶ涼しくなったが、日が当たるとまだ暑い。

日陰を選んで歩いてスーパーまで向かった。

 

「え。閉まってる。何で?」

今日は平日だ。

いつもならもう開いている時間のはずだけれど。

Googleマップの営業時間を確認してみる。

どうやらスペインの祝日だったらしい。

 

なるほど。

もう一つのスーパーなら祝日でも開いているだろうが、私の買いたいものはここでしか買えない商品だ。

明日にしよう。

日本に旅立った元同居人に報告のメッセージを送り、寄り道せず家に帰った。

 

予定が狂ったので、計画を練り直そうとソファに腰掛けていると、クロも起きてきた。

普段なら学校に行っている時間のはずだ。

学校すら行きたくなくなる程嫌なのかな、と思った。

 

「今日、祝日なんやな。知ってた?」

「知ってたよ。」

「あ、もしかして今日学校休みなん?」

「うん」

「あ!だから昨日遅くまでワイン飲んでアニメ見てたんか。学校ないから。」

私が一人納得しているのを横目にクロは軽く頷いた。

 

待てよ。

学校がないならちょうど良い。

クロの大好きなアニメを一日中好きなだけ見ようと誘ってみるか。

少しの間かもしれないけれど、その間は嫌なことを考えずに済むはずだ。

 

企みで口角を上げながら尋ねる。

「じゃあ今日、何するん?」

「一日中勉強する。」

「え、一日中?」

想定外の答えが返って来てしまった。

 

テストが近いとかなのだろうか。

勉強を邪魔するわけにはいかないしな…

 

ぐぬぬ…と一人考え込む私に

「なんで?」

と今度はクロが尋ねる。

「学校ないなら一日中アニメ見れるかと思って。」

少し面食らった顔をしながらも、

「夜になら。」

と答えた。

夜はやっぱり見るんや。

 

しばらくすると彼が家の掃除を始め、暇になった私は付きまとうことにした。

例の同居人はちょうど出て行って、家には二人だけになった。

 

 

拭き掃除が終わり掃き掃除を始めた頃に、ぽつりぽつりとクロが話し始めた。

 

「親のことは前も話したけどさ。それ以外にもあってさ。君に会う前に地元で会った日本人の女の子がいて。俺は完全に友達だと思ってるんだけど。向こうが好意を持ったみたいで。付き合ってくれって言われててさ。もちろん俺にその気はないから断ってるんだけど、話さないといけないし。家族の話もまた色々あってさ。君とのこともそうだけど。考えたいことがいっぱいあるのに、家にあいつがいると思うと、全然リラックスできないんだよ。俺は人より繊細だって話前にしたと思うけど、あれ、ちゃんと専門家に診断されてるんだ。例えば誰かと会話する時に、言葉以外に表情や態度から情報を読み取るよね。その受け取る情報量が人よりも多いんだ。その分感覚が鋭いんだ。だから、それだけ休む時間も人より必要らしいんだ。睡眠時間が長いのもそうだ。それが今は家でもリラックス状態になれないから疲れが溜まって爆発してしまったんだ。この前も2時間しか寝れなかった。」

言葉通り、彼の目の下には大きなクマができていて、やつれて見えた。

 

 

 

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静けさ

 

 

いつもならすきあらば冗談を言ってくるクロが無言なことで、家には静けさが漂っていた。

これまでを思い出して、彼のありがたさを感じた。

 

いつもなんだかんだクロから話しかけることがほとんどだったんだ。

毎日が笑顔で溢れていたのは、クロのおかげだったんだ。

くだらない冗談を軽くあしらっていたことを反省した。

 

ストレスが溜まっているんだろうな、ということも見てとれた。

普段、翌日学校がある日は彼はお酒を飲まない。

それなのに例の同居人が引っ越して来てからは翌日学校でもワインを注いでいた。

日課のアニメは欠かさず見ていたのが救いだった。

一日目は無言で見ていたが、二日目には感想を私に伝えてくれるようになった。

 

その日は23時頃にもう一人の同居人が外出し、ベランダでクロとその姿を追った。

「ほら、こんな時間に家を出るんだよ。どこに行くかなんて知りたくもない。危ない人だよ。」

と煙を吐きながらクロが心底嫌そうに漏らした。

「このまま一緒に住むことを考えたら、耐えられないよ。俺が出て行くしかない。」

そう言いながら、手元の携帯で賃貸の検索サイトを開いた。

 

本気で嫌なんだな。

そう思った。

「良いとこすぐ見つかりそうなん?」

「いいや。でも、こままじゃ家中の物を壊してしまいそうだ。」

ピリピリした緊張感が伝わってくる。

 

これまでにこんなクロは見たことがなかった。

少し怖気付く。

返答によっては彼の機嫌をさらに損ねるんじゃないかと思うと、迂闊に話せなかった。

そもそも、なんて言うべきかも分からなかった。

かける言葉が思いつかない。

 

それはすなわち、解決策がないということだった。

頷くくらいしか反応のない私に、呆れたように

「もう寝る。」

とクロはリビングを去った。

追いかけるように私もリビングを後にする。

 

 

クロは部屋に戻る前にトイレに入った。

せっかく話してくれたのに。

 

このままじゃだめだ、という気持ちが私を奮い立たせた。

クロがトイレから出てきたら、もう一度話をしよう。

そう決めて部屋の前にあるトイレの扉を睨みつけた。

 

クロが出てきて、何か言いたそうにこちらを見ている。

私たちはしばらく無言で見つめ合っていた。

 

「私、諦めへんことにした。まだまだスペイン語完璧じゃなくて分からへんこと多いけど。クロのことは、諦めへんことにした。」

すぐそばにあるクロの顔は、心なしか明るかった。

 

「なんて言ったか分かった?」

「なんとなく。」

 

部屋の扉をい閉める前に、クロはもう一度口を開いた。

「友達として、君を置いていきたくはないよ。でも、この嫌な気持ちを我慢したくないんだ。明日大家に家を出たいって言ってみようと思ってる。」

「うん。私は、クロの幸せを願ってるから。クロにとって一番良い選択が、私にとっても最善やから。また大家さん何て言ってたか教えて。」

「わかった。おやすみ。」

 

そう言って扉を閉めるクロは、なんだか寂しそうに見えた。

 

 

 

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爆発

 

 

その二日間で、クロの笑顔を見たのは一度きりだった。

 

塞ぎ込む彼があまりにもかわいそうで、自分のことを棚に上げてどうにかしてあげたいと思った。

しかし、話し相手には私のスペイン語能力では十分に相談にのってあげられない。

彼が不安を吐露する相手としてはまだ役不足なのだと痛感していた。

 

同居人は外国人である私に積極的に話しかけてくることはなかったので、幸か不幸かクロがこぼすほどの不満は私には湧かなかった。

そのことすら、クロはどこか気に入らないようでもあった。

 

同居人の問題が発生する前に、考え事は一人でするのが好きだと言っていたし。

これまでの彼を見ていて、他人に干渉されることを好む性格ではないと分かっていた。

それでも、私の心はどうにかしたいと騒ぎ立てる。

彼のことを想って、けれどそれはある種自分のためでもあるのかもしれない。

 

とにかく日中は彼をそっとしておくことにした。

もっとも、彼自身が近づくなオーラを出していた。

 

でも、このままにしておけない。

数日前に起こった自分達のことは、今はどうでもよかった。

この目の前の男の子に、楽しいことだけが起きてほしい。

いつも笑っていてほしい。

そんな気持ちだった。

 

 

ソファでまだ携帯と睨めっこをしているクロに恐る恐る話しかける。

何度も脳内で予行練習をした。

冗談っぽく、なるべく軽い感じで。

 

「ハグが必要やったりする?心配せんでも、これは友人として。知ってる?ハグにはリラックス効果があるんやで。ストレス緩和とかさ。」

 

私が言い終わる頃には強張っていた彼の表情が少し解けて。

口元にも少し笑みが見える。

最後の一押しに、

「私はちょっとしたいな。」

と言うと、仕方ないと言うかのように上体を起こした。

 

今までで一番短い、あっけないハグ。

当然だ、これは友情のハグだから。

けれどもその後にちょっと口角を上げたクロを見て、私の気持ちも少し和らいだ。

 

 

しかし夕食時に額に手を当ててため息をつきながら食すのを見た時には、放っておけないという気持ちがまた募った。

そして迷いに迷った挙句、夜部屋に戻った後に彼にメッセージを送ることにした。

 

「クロは私に何かして欲しいとか思ってないやろうけど、もし必要があれば頼ってね。その相手は私じゃなくてもいいから。これはクロが好きやから言ってるんじゃなくて、同居人として心配してるねん。一人じゃないってこと、忘れんといてね。返事いらんから。」

重くなりすぎないようにふざけたスタンプと共に送信ボタンを押した。

 

既読はつかないが、その日クロの部屋からは遅くまで物音が聞こえていた。

 

 

翌日、朝早く学校に向かう支度をする彼の物音で目が覚めた。

今日の眠りは少し浅かったようだ。

 

昼前に返事が返ってきた。

「考えないといけないことが重なって、爆発してしまったみたい。申し訳ないけど、今調子が良くないんだ。でもありがとう。俺のことは心配しないで。」

最後に笑顔の絵文字がついていたが、彼の心が笑っていないことは安易に想像できた。

 

かえって気を遣わせてしまったかな、と少し反省した。

 

よし、これからは私だけでも明るく過ごしていよう。

きっと彼には時間が必要で、彼なりに少しずつ消化するだろう。

少なくとも私は軽く笑い飛ばせるくらいのエネルギーが今はあるから。

私は私で元気に過ごす。

クロに過剰に干渉したり、心配しない。

そう決めた。

きっと、それが今はお互いの為になる。

 

 

 

「」=スペイン語

「」=日本語

で会話をしています。