大阪人がスペインで愛を得る旅

ワーキングホリデービザでスペインの南の方に住んでいます。

タコス

 

今日はタコスを作ると決め込んで、買い物をした。

 

 

一度友達の家で振るまってもらってレシピも教わったのだ。

めんどくさがりの私流にかなり工程を簡素化して、スペインに来てから二、三回作っている。

 

タコミートの元になるサルサはスーパーで簡単に手に入る。

ひき肉とそれを和えて、泣きながらみじん切りにした玉ねぎを加える。

ワカモレに玉ねぎを加える方法もあるが、辛い玉ねぎに火を通したかったので今回はお肉と炒めることにした。

ワカモレもアボカドを潰すのがめんどくさいので、ざっくり切ってレモン汁を垂らすだけにする。

後は土台となるトルティーヤにサッと火を通せば完了。

材料費も高くな苦、お手軽にパーティー気分が味わえるのでおすすめだ。

ちなみに、私はパクチー大好き人間なのでパクチーは欠かせない。

 

鼻歌混じりに私がタコスを用意していると、物欲しそうな顔をしてクロが手元を覗き込んでいる。

「食べたいなら、クロの分も作るけど。」

と言うと、子犬のように瞳を輝かせた。

 

具材を食卓に並べて、各自お好みでタコスを作る形式にした。

クロは溢れんばかりの具材をせっせと盛っている。

 

案の定、一口噛むたびにもう片方からぼろぼろと中身がこぼれ落ちた。

ほれ、言わんこっちゃない。

 

「食べにくいから、タコス嫌い。」

などとほざいているが、それはあんたの裁量に問題があるだろう。

 

今日も今日とて率先して洗い物を担当してくれるクロは、せっせと食器を洗ってくれている。

 

「俺はお腹が弱いからタコスみたいな辛いものは進んで食べないけれど、君の作るものは何でも美味しいね。」

不意打ちにそう言われ、単純な私はすぐに上機嫌になってしまう。

 

不思議なものだ。

かつては、料理が下手だといじられることが多かった。

実際、自分でもうまく作れない自分に嘆いたこともある。

だからこそ、たとえお世辞だったとしても、こうして料理の腕を褒められる今の状況に慣れなかった。

 

けれど、考えてみれば当然かもしれない。

確かに昔はうまくできないことが多かった。

それでも、月日が経ち場数を踏むことで多少技術が磨かれることは何も不自然じゃない。

 

私は、周りに言われた言葉で自分自身を評価して、そう言う人間だと思い込んでいたのかもしれない。

そう思ったと同時に、ハッとした。

 

これはきっと料理以外にも言えることだ。

周りが放つ言葉にどんな意図が含まれているのか、嘘か真か、そんなことは受け手側には知るよしもない。

それでも、その言葉をそのまま鵜呑みにするのかどうかは受け手次第なのだ。

 

要は、自分が思いたいように思えばいい。

極端な話だけれど、世間からどれだけ罵られようと、自分は最高な人間だと信じてやまなければ、きっとその人は幸せだろう。

 

私は、周りの評価に影響を受けやすいのかもしれない。

良いことも悪いことも、スポンジのように吸収して一喜一憂する。

それが、たまにしんどくなる。

なぜなら、全てを周りに委ねているからだ。

自分の評価は自分で決めれば良い。

 

なるほどなあ、と勝手に腑に落ちた。

 

私はスペインに暮らすこの短くも長い期間で、愛をものにしたい。

まずは、自分を愛することから。

ありのままを受け入れることを、少しずつ練習しているのだ。

 

誰かに言われて嬉しかったことは素直に受けれて、良い思いをしなければ受け取らないという選択もできる。

それに気づいただけでも、少しは進歩できたのだ。

 

 

 

 

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